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【#15】 収入が不安で焦る50代の向き合い方

心の平穏戦略

【#15】 収入が不安で焦る50代の向き合い方

― 老子15章に学ぶ「やりながら待つ」

第1章 50代、収入源への焦り

先に正直に書いておきます。

私は、いま焦っています。

いちばんの理由は、収入源のことです。

体が、若い頃のようには動かなくなってきました。

無理がきかなくなって、気づけば、自分で自分に制限をかけています。

思うように動けない歯がゆさがあります。

この仕事を、この先も続けていくのだろうか。

そう考えると、正直なところ、続けていく自分が想像できません。

会社の考え方や流れと、自分の考えが合わないと感じる場面も重なってきました。

かといって、年齢を考えると、転職も簡単ではありません。

それなら、肉体労働から頭脳労働へ切り替えるしかない。

そう決めました。

幸い、いまはインターネットがあり、AIという心強い相棒もいます。

もう一度、一人で戦えるのではないか。

そんな希望があって、早く収入源を作りたいと、気持ちが急いています。

定年後のことを考えても、先がはっきりとは見えません。

じっとしていられないほどの焦りと不安が、いつも頭の片隅にあります。

ネットの世界を見ると、華やかな人たちが星のようにたくさんいます。

憧れますし、うらやましいです。

少しでも近づきたくて、情報を集めます。

ただ、最新のAIを駆使する人が多い中で、私のパソコンは2013年製です。

作業中に固まるので、機嫌を取りながら使っています。

最新のAIも入れられません。

いわば逆境です。

けれども、限られた環境の中でどれだけのことができるか。

そこが、私の勝負どころではないかと考えているのです。

条件がそろっていないからといって、始めるのを諦めてしまうと、何も動きません。

足りないところを工夫で補いながら、いまある環境の中で、一歩ずつ進めていきたいです。

第2章 濁りは、置いておけば澄んでいく

そんなときに出会ったのが、老子の第15章でした。

老子は、昔の「道に長けた人」の姿を描いています。

冬の川を渡るように慎重で、客人のように控えめで、溶けかけの氷のようにこだわりがなく、谷のように空っぽで、そして、濁った水のように混ざっている。

力強さよりも、静けさが並んでいるところが、最初は少し意外でした。

七つの姿は、どれも目立ちません。

成功者というと、自信にあふれて、輝いている姿を思い浮かべがちです。

けれども老子は、清らかに完成された人ではなく、濁りを抱えたまま静かにしている人を、深い人として描いています。

そのあとに、この章の核心が出てきます。

「孰(たれ)か能(よ)く濁(にご)りて以(もっ)て静(しず)かにし、徐(おもむ)ろに清(す)まん。

孰(たれ)か能(よ)く安(やす)んじて以(もっ)て動(うご)かし、徐(おもむ)ろに生(しょう)ぜん」

濁っているものを、静かに置いておくと、ゆっくり澄んでいく。

そして、安らかなまま動かしていくと、ゆっくり命が生まれてくる。

そんな意味です。

泥水を早く透明にしたくて、棒を入れてかき混ぜると、水はいっそう濁ります。

そっと置いておくと、泥は少しずつ底に沈んで、上のほうから澄んでいきます。

後半の一文に、私は目が止まりました。

止まるのではなく、安らかに動かしていく。

つまり、「待つ」といっても、何もしないことではないように読めます。

闇雲に動き回るのでもなく、立ち止まってしまうのでもなく、安らかな気持ちのまま、動き続けていく。

答えが出ないときは、出ないままにしておく。

そして、手だけは止めずに、同じことを続けていく。

50代の焦りに、静かに寄り添ってくれる言葉だと感じました。

第3章 「何もない」50代の棚卸し

私にも、泥水をかき混ぜていた時期があります。

廃業したあと、「何かをしなければ」と焦って、ECサイトに手を出しました。

下調べもほとんどせず、商品についての知識も経験もないまま、飛び込みました。

勉強会にもお金を払いましたが、回収できないまま撃沈。

そのあとすぐに法律が変わって、太刀打ちもできなくなりました。

黒歴史です。

それでも、ネットを使って何かを成し遂げたいという願望は、いまも消えていません。

動いてはいるのに、澄んでいかない。

そんな動きでした。

もう一度、同じような場所に立ったのは、体を壊して、しばらく休職したときです。

「俺には、一体何がある?」。

プロフィールに書ける資格はありません。

会社の肩書きや評価を取り去ったら、残るものは「無い」。

正直に言えば、そう思いました。

食べていけなくなることが、いちばん怖かったです。

何もなければ、収入を得る手立てもありません。

その焦りがあるからこそ、いまも手を止めずにいられるのかもしれません。

そこで、まず紙に書き出してみました。

人生の棚卸しです。

事細かく書いていくうちに、ひとつ見えてきたものがありました。

文章を書くことが、好きだった。

昔、ブログをやっていたとき、反響をいただいたことがあります。

それが、真剣に取り組んでみようと思ったきっかけでした。

そして、いまはAIという参謀もいます。

ここが腕の見せどころだと思いました。

書き続ける理由は、単純です。

書くことで、感情や頭の中が整理されるからです。

整理されると、次に進む推進力になります。

収入につながるかどうかは、まだ分かりません。

それでも、書くことで少しずつ濁りが沈んでいくような感覚があります。

第4章 遠回りの経験と、コツコツ続ける強さ

少し話が変わりますが、若い頃の私は、夜の世界でよく遊んでいました。

飲みの席で、いろいろな人を見ていました。

当時は「何の役に立つんだろう」と思っていました。

けれども、いまになって思うと、あの時間で、人とはどういうものかを、肌で学んでいました。

交渉の場面でも、現場の判断でも、あのときの沈殿物が効いている気がします。

当時は濁りにしか見えなかったものが、時間が経って、底に沈んで、澄んで見えてきた。

そんな感覚です。

周りの社員を見ていると、交渉が苦手な人が多いように感じます。

どうすればこちらの意見を通せるのかを考えるのが、私はどうやら好きなのだと思います。

この力も、遠回りの中で育ったものかもしれません。

会社には、無事故無違反の継続日数を貼り出す記録があります。

事故や違反を起こすと、最下位に落ちる仕組みです。

おかげさまで、私は上位に入っています。

ただ、正直に言うと、特別に優秀だったからではありません。

周りが自然に落ちていって、気づいたら残っていました。

トップの方は、桁が違います。

その違いは何なんだろうと考えて、見えてきたのは、人柄でした。

コツコツ、淡々と、日々を過ごしている人が、最後に残る。

これは、時間が経ってから、ようやく見えたことです。

派手に動いた人より、静かに続けた人が残る。

老子の第15章に出てくる、深い人の姿と重なるように思います。

第5章 結果が出ない時期は「やりながら待つ」

丁稚奉公の時代に、会長から教わったことがあります。

「自営業は、人の三倍動いて、はじめて一人前の生活ができる」。

その教えを、私はずっと守ってきました。

いまも同じです。

指をくわえて待っているだけでは、何も始まりません。

だからといって、焦って結果を追いかけるのは、ECサイトのときの二の舞になります。

いまの私は、テーマを決めて、そのテーマに沿って書くようにしています。

そうすることで、ネタ切れを防いで、続けられる環境を作りました。

背水の陣のつもりで、一つ一つを渾身の一本に仕上げています。

「一生懸命」という言葉は、もともと「一所懸命」から来ているそうです。

中世の武士が、ひとつの領地を命がけで守って、生活の頼みにしたことに由来します。

ひとつのことを続けていると、何かが見えてくる。

私には、そう信じられる経験があります。

転職後、プライドが邪魔をして、仕事がうまくできない時期がありました。

問題児扱いされた私は、人の嫌がる仕事に回されました。

配属されたのは、自動車部品の整備工場で、いわば自動車部品のリサイクル工場です。

工場では、キュイーンという高速回転の機械の音が響き、足元には部品が散乱しています。

そこら中に油の酸っぱい匂いが漂い、外国語が飛び交っていました。

けれども、そこは、私が育った町工場そのものだったのです。

神様から、初心に戻れという合図だったのかもしれません。

この現場に立った時、すべてかなぐり捨てて、一から出直そうという心の整理がつきました。

邪魔をしていたのは、プライドだったのです。

これに気づくまでに、4年かかりました。

まず、なぜ人が嫌がるのかを考えました。

日本語が通じない人が多いこと。

油にまみれた部品が、あちこちに散乱していて汚いこと。

鉄製品が多くて重たいこと。

何よりも、部品ごとに担当者が違うので、覚えられないこと。

そうした問題を抱えているからだと思いました。

ならば、このお客様に対して、プロフェッショナルになってやろうと思いました。

部品ごとの担当者が誰なのかをリスト表にして、毎日どれくらいの荷動きがあるのかを、メモにまとめていきました。

その効果もあってか、少しずつ、会社に認められる存在になっていったのです。

厄介者であった私を追い出した当時の主任は、水を得た魚のように、生き生きとした私を見て悔しがっていました。

この経験から、ひとつのことを徹底的にやれば、道が見えてくるという実績が、私にはあります。

だから、コンテンツ作りにも、同じ姿勢を転用しているのです。

いまの私にとっては、古典をテーマにしたコンテンツ作りが、その「一所」です。

実際、老子をテーマにしたあたりから、少しずつ反応をいただけるようになりました。

何もせずに待つのではなく、やりながら待つ。

私の結論は、そこにあります。

待つ時間には、もうひとつ良いことがあります。

考える時間が生まれて、冷静な判断ができるようになります。

慌てると、ろくなことがありません。

これは、これまでの人生経験から、はっきり言えることです。

日常生活でも、気になることがあっても少し待ってみると、チャンスが巡ってくることが多いと感じます。

もし20代や30代の自分に声をかけられるなら、「独立開業は、焦らなくてもいい」と伝えたいです。

この章の最後には、もうひとつ、大切な一節があります。

「此(こ)の道(みち)を保(たも)つ者(もの)は、盈(み)つるを欲(ほっ)せず。

夫(そ)れ唯(ただ)盈(み)たず、故(ゆえ)に能(よ)く蔽(やぶ)れて新(あらた)に成(な)る」。

満ちようとしない人だから、古びたままでも、新しく成り続けることができる。

そんな意味です。

古びた体で、古いパソコンで、会社の評価もなくて、満たされているとは言えません。

けれども、満ちていないからこそ、まだ水が流れ込む余地がある、とも読めます。

完成していない自分のままで、今日も書いていいのだと思うと、少し肩の力が抜けます。

もし、いま焦っている方がいらっしゃったら、焦りは無理に消さなくても大丈夫です。

私も、まだ消えていません。

ただ、闇雲にかき混ぜる手だけは、少し止めてみませんか。

同じ場所で、同じことを、淡々と続ける。

それが、老子のいう「安らかに動かす」ことなのかもしれません。

七転び八起きの精神で、挑戦することには意味があると考えています。

そこには、夢と希望があるからです。

私にも、答えはまだ出ていません。

収入につながるかどうかも、定年後のことも、見えていません。

だから今日も、筆を取ります。

濁りが澄んでいくのを、書きながら、ゆっくり待ってみようと思います。

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