【#14】廃業、無職、それでも立つ。
第一章|会社がなくなったら、あなたは何で立てますか?
孔子の「憲問篇」には、こんな一節があります。
【原文】「克、伐、怨、欲、不行焉。仁と為すべきか」
【読み】「こく、ばつ、えん、よく、おこなわざるなり。もって じんと なすべきか」
【意味】 克己心、自慢、怨み、欲——これを抑えることは、仁と言えるか
孔子はこう答えます。「難しいことだ。しかし仁かどうかはわからない」と。
つまり孔子は、「自制できること」と「何によって立つか」を、別問題として扱いました。 肩書きを失っても揺れない人間とは何か。この問いが、2500年後の今もリアルです。
そしてこの問いが、突然リアルになる瞬間が、人生に一度か二度、必ず訪れます。
私にとってそれは、一粒の涙でした。
2008年。夕陽が沈みかけた車の中。後部座席では家族がショッピングの余韻を楽しんでいる。 カーラジオから流れるのは、青山テルマの「ここにいるよ」。
トンネルに差し掛かった瞬間、その暗さが、沈みかけていた自分の気持ちと重なった。 気づいたら、涙が一粒、こぼれていました。家族にバレないように、そっと拭う。
外には出せない涙だった。
木材梱包の個人事業を、畳まなければいけない。と悟った、あの瞬間でした。
第二章|「立つ」とは何か — 孔子の定義
論語には「立つ」について、こんな記述があります。
【原文】「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。」
【読み】「われ じゅうゆうごにして がくに こころざす。さんじゅうにして たつ。しじゅうにして まどわず。」
注目すべきは「三十にして立つ」の「立」の字です。
朱子学の解釈では、「立」とは、礼・義・信によって地に足がついた状態。 地位でも収入でもない。「問いを持ち続けること」こそが、孔子の言う「立」でした。
逆に言えば——問いを失った瞬間、人は「立つ」ことをやめているのです。
私が事業を始めたのは26歳、6月1日の朝でした。
空気が、いつも以上に爽やかだった。 「これから俺の人生が始まる」——その意気込みが、胸に刻み込まれた朝でした。
理由はシンプルでした。16歳から続けてきた波乗りを、やめたくなかった。 組織に入ったら、波を追いかけられない。だから、個人で仕事を始めた。
誰かの顔色をうかがう気持ちは、イチミリもありませんでした。 収入が不安定でも、先が見えなくても、ハンドルは自分が握っていた。
それが「立つ」ということだったと、今なら言語化できます。
第三章|継続が「偶然」を「必然」に変える
殷の湯王の盤銘に、こんな言葉があります。
【原文】「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
【読み】「まことに ひびに あらたに、にちにちに あらたに、また ひに あらたなり」
孔子はこの言葉を、論語・大学で繰り返し引用しました。 毎日の小さな継続が、やがて「偶然」を「必然」に変える——という思想です。
孔子自身、各国を流浪しながら14年間、弟子と問いを続けました。 成果が見えなくても、認められなくても、です。 継続の先にしか、届かないものがある。
私は営業が苦手でした。
飛び込み営業も、チラシ配りも、うまくいかなかった。 そこで目をつけたのが、インターネットでした。
ホームページを独学でプログラムして作り、誘導するためにブログを毎日更新した。 仕事が終わった夜、電球一つの作業場で、パソコンに向かう。
誰に読まれているかもわからない。返信も来ない。 それでも毎日、更新し続けた。
ある日、一通の見積もりメールが届いたのです。
心臓が爆発しそうだった。恐る恐る金額を送ると——即決。 しかも相手は、激安の殿堂で有名なドン・キホーテ様でした。
木箱をイメージ装飾のオブジェとして使いたい、という注文だったのです。 ターゲットにしていた客層とは、まったく違う。意図していなかった需要でした。
狙っていなかった相手から、狙っていなかった注文が来た。 戦略でもなかった。運でもなかった。
ただ、続けていたから、届いた。
廃業して、会社員になった今でも、あの頃の記憶にすがっている自分がいます。 音声コンテンツを作り続けているのも、あの延長線上に、今があるからです。
第四章|「下り階段」の哲学的意味
易経に、こんな言葉があります。孔子が愛読した書です。
【原文】「窮すれば変じ、変ずれば通ず」
【読み】「きわすれば へんじ、へんずれば つうず」
行き詰まりは、変化の入り口。 「下り」に見える選択が、実は変化の通路だったとするのが易の思想です。
孔子も晩年、理想の実現を断念し、教育者として生きることを選んだ。 それは「敗北」ではなく、「軸を変えた継続」でした。
廃業から約1年の無職期間を経て、私は会社員になりました。
その1年は、非常に長かった。 毎月、残高が減っていく通帳を見ながら、次に何をすべきか、ずっと考えていました。 考えれば考えるほど焦り、残高が減っていくたび、背中に冷たい汗がツーっと流れていく。
再就職が決まった初日の朝、鏡の前でスーツを着た。 「やっぱり俺には似合わない」——苦虫を噛み潰したような顔で熱を測ったら、38度あった。
周りから見れば、個人事業主から会社員への転換は「登り階段」に見えただろう。 でも私にとっては、完全に下り階段だった。
「これで世間と同じレールに乗るんだ」 「俺のアイデンティティが消えてしまう」
そういう寂しさの中で、熱のある体に、合わないスーツを着て、研修会場に向かった。
それから気持ちを整理するのに、4年かかりました。 「衰退する産業から撤退したのは必然だった」と、頭ではわかっていた。 でも心と体がチグハグで、何かに没頭しようとしても、集中できなかったのです。
あの苦さがなければ、のちに訪れる「即断」はなかったはずです。 4年間の葛藤は、「軸を変えた継続」のための準備期間だった——今はそう思っています。
第五章|トイレまで10分。人生が変わった夜
孔子は弟子の顔回を、こう評しました。
【原文】 「賢なるかな、回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。 人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな、回や」
【読み】 「けんなるかな、かいや。いったんのし、いっぴょうのいん、ろうこうにあり。 ひとは そのうれいに たえず。かいや そのたのしみを あらためず。けんなるかな、かいや」
貧しくても、問いを持つ者は揺れない。 孔子が評価したのはスキルではなく、「問いの深さ」でした。
2024年の春、深夜2時のことです。
右腰から右足の先まで、突然の激痛が走りました。 稲妻がつんざくような、生まれてから一度も感じたことのない痛みでした。
寝返りも打てない。トイレに行こうとして、ベッドから起き上がれなかった。 痺れた足をベッドから引きずり出して、壁伝いに歩く。廊下の壁は、冷たかった。
数歩の距離に、10分以上かかった。
便座に座った瞬間、思考が巡ったのです。 「サラリーマン生活も、これで終わりだな。」
不思議と、迷いはありませんでした。廃業も経験した。無職も経験した。 だから即断できた、と思います。
1ヶ月の休養期間。AIを触りまくった。 画像生成AIで絵本制作に挑戦したら、これが面白くてたまらなかった。
次々と企画構成を考え、戦略を練る自分がいた。 26歳の朝の感覚に、似ていました。
「今日は何が起きるだろう」というあのワクワクが、静かに戻ってきた。
その「感覚の記憶」こそが、資産でした。 肩書きが消えても、誰にも奪えないものがある。
50代の強みは、20代が持てない「問いの蓄積」にあります。
第六章|遠回りの愛し方 — 次の世代へ渡すもの
孔子はこんな言葉を残しています。
【原文】「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」
【読み】「おのれの ほっせざるところは、ひとに ほどこすなかれ」
これは単なる道徳ではありません。 自分が大切にしてきたものを、言葉にして次の世代に渡す責任。
孔子の生涯そのものが、その実践でした。
晩年の孔子は著述と教育に専念しました。弟子3000人、賢人72人。 彼が残した「問い」は、2500年後の今も生きている。
私には、4歳の孫がいます。
血のつながった実の孫ではありません。 結婚して、もれなくついてきた、養子縁組した娘の子です。
だからこそ、かもしれない。この子に何かを残してあげられないか、と強く感じるようになったのは。
ある日、親が子どもの面倒を見ている場面を見ました。 本人は教育のつもりだと思います。でも私には、折檻に見えた。
この違和感はなんだろうと考えたとき、気づきました。 時代や世代が違っても変わらない、本質的なものがあるはずだ、と。
娘に直接言っても届かない。 だから遠回りに、絵本にした。
AIで画像を生成し、言葉を選び、一冊の絵本に仕上げていく作業は、静かな夜の、静かな対話でした。 名目は「孫へのプレゼント」。でも隠れた意味は、親への教育本。
この孫が10歳のとき、この音声を初めて聴くかもしれない。 そして、人生に迷った思春期に、もう一度聴いてほしいと心のどこかで願っています。
第七章|不安でも立てる人は、何を持っているのか
孔子の「四十にして惑わず」は、「迷いがなくなった」という意味ではありません。
惑わなかったのは「自分が何を問い続けるか」が定まったから。 不安があっても、問いの軸があれば、人は揺れながらも立ち続けられる。
それが「不惑」の本質です。
ロッキーが何度倒れても立ち上がるのも、「勝てるから」ではなく「立つことが自分の軸だから」です。
正直に言います。今も、不安の方が強い。
物価は上がり続けているのに、給料は上がらない。 年齢的に体を使う業務は限界に近い。 思想系コンテンツを作り続けているけど、これは自己満足じゃないか。 リベンジ起業なんて夢じゃないか。 狼少年じゃないか。と、自分に問い続けています。
でも、だからこそ。成功させて、証明しなければいけない。
プロフィール名を「ピルスン」にしているのは、そういう意味があるのです。 韓国語で「必勝」。必ず勝ちに行く、という意味です。
誰かに宣言しているのではなく、毎朝、自分に言い聞かせるための言葉です。 不安があるから名乗る。迷いがあるから名乗る。
「何によって立っているか」を問い続けた人は、肩書きが変わっても揺れない。 収入の形が変わっても、信用の蓄積がある。 不安を抱えながらも、立ち続けることができる。
それで十分だと思っています。
老後の「不安ゼロ」なんて話じゃない。 揺れながらも、立ち続けること。そう、映画の「ロッキー」のように。
それが孔子の言う「何によって立つか」の、私なりの答えです。
第八章|あなたは「何によって立っていますか?」
そしてその答えは、聴いているあなたの中にも、必ずある。 まだ言葉になっていないだけで。
孔子が弟子に問いを立て続けたように、今日、一つだけお願いがあります。
メモでも、スマホでもいい。この問いを、書いてみてください。
「私はこれまで、何によって立ってきたのか。」
答えが出なくていいのです。 むしろ、すぐに答えが出ない方が、深いところに何かが眠っている証拠です。
焦らなくていい。問いを立てた瞬間から、思考は動き始めます。 その動きが、発信の第一歩になります。