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【#12】給料より先に、人生を失っていた

労働の対価と人生のバランスが取れない

生き方仕事

【#12】給料より先に、人生を失っていた

第一章|給料が上がらないより、もっと深いところを失っていた

右手を、広げてみてください。

指が、まっすぐ伸びますか。

私の右手は、伸びません。

指の節が太く盛り上がって、

パーの形が作れない。

十代の頃から素手で鉄を触り続けてきた、

現場の年月が指の形を変えてしまいました。

この手を見るたびに、思うことがあります。

給料が上がらないことより、

明日も同じだと、わかってしまったことが苦しかった。

2024年の師走のことです。

ボーナスの明細を閉じた帰り道、

冷たい風だけが、やけに現実的でした。

課長に「今年は期待できるぞ」とハッパをかけられ、

数字を積み上げた。

結果は据え置き。

理由は「グループ全体で減益だから」。

怒りより先に、

納得感がありました。

やっぱりそうか、と。

頑張ったのに、何も変わらなかった夜。

翌朝また同じ時間に起きて、

同じ場所に向かうことが、

少しだけ空虚に感じた朝。

人は、努力が報われないことより、

報われない仕組みの中にいると気づいた瞬間の方が、ずっとこたえる。

その夜、私はそれを静かに確信しました。

少し前の話もさせてください。

2020年、コロナ禍のことです。

人々が外出を自粛し、給付金でモノが飛ぶように売れた。

物流の現場は、かつてないほど忙しかった。

数字は、爆発的に出た。

ところが上司が真っ先にやったことは、

得意先への値下げ交渉でした。

「同業他社が切り込んできているから」という理由で。

係長に訴えた。課長に訴えた。

他社が扱えない規格外の荷物を独占していたのは、こちら側だった。

相手には私たちの利益など見えていない。

黙っていれば、独占できた。

なぜ、利益という答えを相手に見せるんだと、

心の中で強くボヤいた。

何を言っても、暖簾に腕押しでした。

その時わかったのは、上司の問題でも、私の問題でもない、ということです。

ただ、その仕組みに人生を預けてはいけない、ということだけが、確かでした。

第二章|体が止まった夜、定年後の収入源を考えた

少し前のことです。

坐骨神経痛と診断されました。

ドクターストップ。一ヶ月の安静。

足が言うことを聞かず、布団に横になったまま、

ただ天井を見ていました。

体が止まると、嫌でも頭が動き始めます。

物価は上がり続けているのに、給料は追いついてこない。

今では肉を控え、安く手に入るもので食卓を賄っている。

2008年には会社をたたみました。

廃業から次の仕事が決まらない一年間、

朝起きても行く場所がない。

やることはある。でも、収入がない。

あの重さを、天井を見ながら思い出していました。

人は、お金がなくて苦しむ。

風邪をひいても病院に行けない。

設備投資もできない。

銀行に借りに行けば、お金がないという理由で弾かれる。

だけど、本当に苦しいのは、

選択肢がなくなることだ、と今ならわかります。

天井を見ながら、問いが浮かんできました。

この体が動かなくなった時、

私には何が残るのか。

定年という二文字が、

射程圏内に入ってきていることに気がついたのです。

百歩譲って現状は良いとしよう。

ならば定年後に収入源はあるのか。

考えれば考えるほど、選択肢が狭まってくる。

悔しかった。

でも、それ以上に静かだった。

もう答えは出ていたからです。

廃業を経験した時も、同じ問いに向き合いました。

あの頃と今では、使える道具が違う。

インターネットがあり、AIがある。

一人でも届けられる時代が、あの頃とは比べものにならないほど整っています。

第三章|孔子が愛した貧乏人が、なぜ最も豊かだったのか

孔子の弟子の中で、最も愛された人物がいます。

**顔淵(がんえん)**です。

顔淵は、貧しかった。

粗末な器で食事をし、狭い路地に暮らしていた。

でも孔子はこう言っています。

「誰もが不満を言うような境遇なのに、顔淵だけはその喜びを変えなかった。」

顔淵もまた、足りない現実の中で、

心だけは貧しくならなかった。

2500年前の彼と、今の私たちは、案外似ているのかもしれません。

孔子はこの教えを「克己復礼(こっきふくれい)」という言葉で伝えています。

難しく聞こえますが、意味はシンプルです。

外の評価に振り回されず、自分の内側を整えること。

それだけです。

私の職場にも、うまく立ち回る人間がいました。

仕事を人に振り、さも頑張っているように見せる。

上司にはそれが見えない。

私がカバーに入り、しんどい思いをしても、

評価もボーナスも、そちらの方が多かったことがある。

その夜も、黙って帰りました。

怒りを飲み込んで、一人で。

でも、投げ出さなかった。

理不尽の中で動き続けてきた自分に、

継続力があることだけは、自分でわかっていました。

誰にも言わなくても、自分だけは知っていた。

顔淵もそうだったのではないか、と私は思います。

認められなくても、貧しくても、

誰にも見えない場所で、ただ続けていた。

報われない努力は、場所を変えれば資産になる。

顔淵が二千年後に語り継がれているのは、

豊かだったからでも権力を持っていたからでもない。

生き方が、本物だったからです。

第四章|現場15年の経験を、副業・発信・収入源に変える3つの方法

では、具体的にどう動くか。

ひとつ目は、経験を言語化すること。

若い頃、独学でホームページを作り、毎日ブログを投稿していた時期があります。

粗末なものでしたが、毎日書き続けました。

ある日、街で見知らぬ人から声をかけられました。

「ブログ、読んでますよ。」と。

私はその人を知らないのに、その人は私を知っている。

照れくさくもあったし、どこか怖いような気もしました。

でもその時、確信したことがあります。

言葉は、自分が知らない場所まで届く。

物流の現場でも、似た経験があります。

工業用ミシンを中国に送り出した翌年、

ユニクロのフリースが爆発的に売れた。

ガラケーの金型を発送したあと、

携帯電話が日本中に広がったのです。

経済が動く前の空気を、現場で体ごと感じていた。

この「変わり目の匂い」を知っている人間の言葉は、

ただの情報発信とは重さが違う。

成功者の話は、ネットに山ほどある。

でも、報われなかった。
理不尽を見た。
現場を知っている。

それでも考え続けた人間の言葉は、重い。

だから、刺さる。

会社は、あなたを雇う。

人生まで、雇わせるな。

ふたつ目は、発信を積み上げること。

廃業後、インターネットから二年間離れた時期がありました。

再び画面を開いた時、

億を稼ぐ人たちが次々と現れていた。

悔しいというより、

自分だけ取り残されたような感覚でした。

「停滞は衰退」という言葉に、体で気づいた瞬間でした。

今、AIの時代が来ています。

フリーランスの市場が拡大し、

個人が個人として戦うサバイバルの時代が来ると、私は見ています。

終身雇用の幻想は、とっくに終わっている。

焦りで始めた副業は、続かない。

軸を持って始めたコンテンツは、積み上がる。

みっつ目は、評価軸を外に持つこと。

組織の評価は、仕組みの都合で動く。

でも発信の評価は、

自分の言葉がどれだけ誰かの心に刺さったかで決まる。

年功序列も、グループ減益も、そこには関係ありません。

第五章|50代から始める、人生の主導権の取り戻し方

26歳の6月1日、独立した日のことを思い出します。

怖くなかったと言えば嘘になる。

でも、止まる方がもっと怖かった。

あの感覚を、今もう一度取り戻そうとしています。

孫にいつか伝えたいことがあります。

「どんなことがあっても、それを楽しめるようになれ。

特に苦しい時に、どうやって楽しみに変えるか。

そこが、勝負所だ。

20代の自分が今の私を見たら、

きっとこう言うだろうと思う。

「もっと動けるんと違う?

人の三倍動いて、初めて一人前と言ってたじゃないか。」と。

その通りだ、と思う。

だから、動く。

顔淵が二千五百年前に示したのは、

物が少なくても、報われなくても、

黙って続けた人間だけが、最後に本物になる、ということでした。

誰にも見えない場所で、怒りを飲み込んで、

静かに積み上げてきたものが、あなたにも必ずある。

それは消えない。誰にも奪えない。

パーにできないこの手で、

今日も文章を書いています。

失ったものは多い。

それでも、まだ使えるものが残っている。

この手と、この経験と、この言葉です。

顔淵は、貧しかった。

それでも心まで貧しくはならなかった。

私たちに必要なのも、

同じことかもしれません。

もしあなたにも、まだ終わっていない何かがあるなら。

主導権は、取り戻せます。 また次回、お会いしましょう。

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