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【#12】情報に振り回されて疲れていませんか?老子に学ぶ「自分の軸」の取り戻し方

心の平穏学び

【#12】情報に振り回されて疲れていませんか?老子に学ぶ「自分の軸」の取り戻し方

第一章|発信を始めたら、情報に振り回されるようになった

何かを発信しようと決めた時、最初に困ることがあります。

「何を書けばいいのだろう」。

そう思って、情報を集め始めます。

すると今度は、情報が多すぎて選べなくなります。

あれもいい、これも面白い、この方法も使えそうだ。

気づけば、情報を集めることだけに時間を使っている自分がいます。

そしてふと、こう思うのではないでしょうか。

「そもそも、自分は何をしたかったんだっけ」。

情報を集めているはずなのに、自分の考えがどんどん見えなくなっていく。

集めれば集めるほど安心できるはずなのに、実際には逆に、不安が増えていく感覚さえありました。

これは、発信をしている人なら、一度は通る道かもしれません。

ただ、テーマを決めたからといって、迷いがなくなるわけではありませんでした。

私も、発信を続けるうちに同じような感覚を持つようになりました。

毎日、新しい情報が流れてきます。

新しいSNS、新しいツール、新しい成功事例。

追いかけようと思えば、いくらでも追いかけられます。

でも、すべてを追いかけていたら、自分の発信がどこに向かっているのか分からなくなるのです。

実を言うと、私自身も長らくノウハウコレクターでした。

何をどうすればいいのか分からないまま、とにかく調べる。

SNSの伸ばし方、文章の書き方、動画の作り方、集客の仕組み。

良さそうな講座やノウハウがあれば、片っ端から手を出していました。

新しい情報を仕入れるたびに、「これで前に進める」という気がしたのです。

でも実際には、手元に増えていくのは知識の断片ばかりで、発信そのものは一向に前に進みませんでした。

前に進まないからまた焦って調べる。

そうやって調べれば調べるほど、かえって深い泥沼にハマっていったのです。

その状態から抜け出せたのは、「扱うテーマ」を一つに決めたからです。

ただ、正直に言うと、決めようと思って決められたわけではありませんでした。

きっかけは、坐骨神経痛でした。

身動きが取れなくなり、医師から一ヶ月の安静を言い渡されたのです。

それは休職を意味します。

休職になれば、給料が減る。

そんな状況に追い込まれて、初めて動けるようになった、という感じでした。

もっとも、動けるようになったのは体ではありません。

体はむしろ、動かせなくなっていました。

動いたのは、それまで先延ばしにしてきた「考えること」や「決めること」のほうだったのです。

それまで「テーマを決めなければ」と、頭では分かっていました。

でも、分かっていながら、ずっと動けずにいたのです。

その一ヶ月の強制停止は、体を止めることで、代わりに心を強制的に動かしたのです。

人は、気づいていても動けないものなのかもしれません。

必要に迫られて、初めて動ける、という性質を、誰もが持っているのではないでしょうか。

だとすれば問題は、その「必要」を、外から強制される前に、自分の中でどう作っておくか、ということなのだと思います。

体が動かせない一ヶ月の間、できることは限られていました。

でも、その限られた時間の中で、初めて「自分は本当は何を伝えたいのか」と、静かに向き合うことができたのです。

だから私は、一つだけ決めました。

流行を追うのではなく、自分の立つ場所を先に決めておく、ということです。

そこで選んだのが「古典」でした。

古典であれば、今日話題になって明日には価値がなくなる、ということが起きません。

それでいて、今を生きるための学びを重ねていくこともできます。

情報の波に乗るのではなく、自分で立つ場所を決める。

それが、私なりの発信のかたちになりました。

第二章|眩しい発信者を見て、焦ってしまう

周りを見渡すと、眩しい発信者がたくさんいます。

フォロワーが多い、再生数が伸びている、成果も出している。

「自分もあんなふうになれたら」と思うことが、正直あります。

同じくらいの時間をかけているつもりでも、結果には差がついてしまう。

その差を見せつけられるたびに、自分のやり方が間違っているのではないか、という不安がよぎります。

羨ましく思うこともあれば、悔しさが顔を出すこともあります。

自分だって頑張っているのに、なぜだろう、と。

そんな焦りが出てくると、また他人のやり方を調べ始めてしまいます。

この人は何をしているのだろう、この方法なら伸びるのではないか、と。

投稿の時間帯、サムネイルの作り方、タイトルのつけ方。

細かなテクニックを真似してみても、なぜか同じようにはうまくいきません。

そのたびに、自分にはまだ何かが足りないのだと思い込んでしまいます。

そうして、また情報の海に引き戻されていくのです。

第三章|老子は二千年以上前から、これを見ていた

老子第十二章には、こんな言葉があります。

五色は人の目をくらませ、五音は人の耳を聞こえなくし、五味は人の味覚を狂わせる、という趣旨の一節です。

これは「見るな」「聞くな」「味わうな」という話ではないと思います。

刺激が過剰になると、本来感じ取れるはずのものが分からなくなる、という警句として読めるのではないでしょうか。

今で言えば、絶え間なく届く通知や、次々とおすすめされる動画、目に入るたびに揺さぶられる「いいね」の数、といったところかもしれません。

これは今の時代にも、そのまま当てはまるように思います。

老子が生きていたのは、今のような情報化社会ではありません。

それでも人の感覚は、刺激を与えられ続ければ鈍っていく、ということを見抜いていたのだと思います。

二千年以上経った今、その刺激の量は、当時とは比べものにならないほど増えました。

SNSを開けば誰かの成功が目に入り、動画を開けば次々と新しい情報が流れてきます。

検索すれば、答えらしきものはいくらでも出てきます。

便利になった一方で、「自分はどうしたいのか」を考える時間は、確実に減っているのかもしれません。

情報そのものが悪いわけではないと思います。

問題は、情報を集めること自体が目的になってしまうことではないでしょうか。

発信においても同じことが起こります。

あの人がやっている、これが今のトレンド、この方法が伸びている。

そうした情報を集め続けているうちに、いつの間にか「他人と同じになるための情報集め」になってしまうことがあります。

これは少し怖いことだと感じています。

自分らしさを出すために発信を始めたはずなのに、情報を追いかけるほど、誰かの二番煎じに近づいていく。

そんな矛盾が、静かに進んでいくのです。

情報を集めれば集めるほど、自分の軸が薄くなっていく、という逆説が起きるからです。

第四章|「何を見るか」より「何を選ぶか」

では、どうすればいいのでしょうか。

情報を全て遮断する必要はないと思いますし、今の時代、それは現実的でもありません。

必要なのは「選ぶこと」なのではないかと考えています。

何を見て、何を見ないか。

誰の言葉を聞き、誰の言葉は聞かなくていいか。

何を参考にし、何は自分に必要ないと判断するか。

その基準になるのは、結局のところ「自分のテーマに合うかどうか」なのだと思います。

どれだけ話題になっている方法でも、自分のテーマからずれているなら、無理に取り入れる必要はありません。

情報を減らすというより、自分なりの判断基準を持つ、ということに近いのかもしれません。

老子第十二章を今の発信活動に置き換えると、次のような流れになるように思います。

まず、刺激を受けること。

知らなければ、そもそも何も始まりません。

新しい情報や、他の発信者のやり方を見ること自体は、悪いことではないと思っています。

次に、飲み込まれないこと。

流行っているから、みんながやっているから、という理由だけで動かない、ということです。

見た情報のすべてに反応する必要はなく、一度立ち止まって、自分に必要かどうかを考える余地を残しておく、ということです。

そして、自分で選ぶこと。

自分のテーマに必要なものだけを、静かに取り込んでいく。

最後に、自分の軸に戻ること。

「私は何を伝えたいのか」「誰に届けたいのか」、ここに立ち返る、ということです。

情報から比較が生まれ、比較から迷いが生まれる、という流れで終わらせるのではなく、情報から選択が生まれ、選択から自分の軸が育つ、という流れに変えていく。

一気にすべてを変える必要はなく、この4つを意識するだけで、情報との距離の取り方は少しずつ変わっていくように思います。

そんなイメージを持っています。

第五章|情報の海の中でも、自分の羅針盤を持つ

今の時代、情報を避けて生きることはできません。

これから先、AIによって情報はさらに増えていくはずです。

だからこそ、「情報を見ない」という方法だけでは、限界があるのだと思います。

必要なのは、情報の中にいても、自分を見失わないことではないでしょうか。

周りの発信者が眩しくても構いませんし、羨ましく思うことがあっても、悔しさを感じることがあっても構わないと思います。

そこから「では、自分は何をするのか」に、そっと戻ってくればいいのではないでしょうか。

私自身も今、それを探している途中です。

坐骨神経痛で動けなかったあの一ヶ月がなければ、私は今も情報を集め続けるだけだったかもしれません。

でも、必要に迫られるまで動けなかったからこそ、今は自分から「必要」を先に作っておきたいと思うようになりました。

自分の言葉が、誰に、どんなふうに届いているのか。

その相手を探し、その相手を知り、自分の言葉を少しずつ研ぎ澄ましていく。

老子は「彼を去り此を取る」と言いました。

あれも、これも、ではなく、こちらを選ぶ、ということです。

派手な成果を追いかけることも、多くの人と同じやり方に合わせることも、悪いことではありません。

ただ、それが自分の選んだ道なのかどうかは、時々立ち止まって確かめる価値があると思います。

情報が溢れる時代だからこそ、最後に必要なのは情報の量ではなく、選ぶ力なのかもしれません。

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