【#09】4年間、プライドが邪魔をしていた
第1章 手応えのない日々を送っている人へ
もし今、頑張っているのに手応えがない。
正しい選択をしているはずなのに、 なぜか苦しい。
周りは前に進んでいるのに、 自分だけが止まっているように感じる。
もし、そんな感覚があるなら—— 今日の話は、あなたのためのものかもしれません。
今日は少し、個人的な話をします。
うまくいかなかった4年間の話。 そして、なぜうまくいかなかったのかを、 ある現場で突然理解した話です。
派手な失敗ではありません。 誰かに責められたわけでもない。
ただ、毎日少しずつ、 何かが削れていくような時間の話です。
第2章 灼熱の工場。色をまとっていた頃
以前、私は木箱の梱包業を個人で営んでいました。
26歳のときに始めた仕事です。
会社員にはならないと決めていた。
理由はシンプルで、好きな波乗りを続けながら生きたかったからです。
組織に入れば、波を追いかけることができなくなると思っていた。
その選択は間違っていなかったと、今でも思っています。
仕事場は、片側だけに屋根がある工場でした。
夏になると強烈な西日が半分まで差し込む。
木のキリカスやホコリで クーラーのフィルターが目詰まりを起こすため使えない。
大きな工場用扇風機が一台、 ただ回り続けているだけの空間でした。
灼熱でした。
体は疲れているのに、 不思議と心は軽かったのを覚えています。
地域の人が声をかけてくれる。 仕事を紹介してくれる。
そのたびに、 「自分はここに居ていい」と 体が静かに納得していました。
個人事業主として地域に信用してもらえるようになるまで、きっちり3年かかりました。
若くして立ち上げた仕事でしたから、 信用というものは、時間をかけて積むしかありませんでした。
毎月の支払日、 口座残高を確認してホッと息をつく瞬間がありました。
支払いは待ってくれない。 売上が落ちれば、たちまち生きた心地がしなくなる。
お金がないのは首がないのと同じだ、という言葉を、体で知った時期でした。
自分で仕事を選び、働き、稼ぎ、好きなことをして生きる。
あの頃の私は、それを誇りにしていたのだと思います。
誰にも言わなかったけれど、心の奥でそう思っていた。
第3章 崩れた瞬間。トンネルで一粒だけこぼれた涙
しかし、廃業を決意しました。
リーマンショックの波が、小さな個人事業にも静かに押し寄せてきた頃でした。
事業を拡大しようとしていた時期でもありました。 新婚でもありました。
だからこそ、気持ちと現実のチグハグが、 整理できないまま、しばらく続きました。
廃業を決めたその日、 家族で大型ショッピングモールへ出かけた帰り道でした。
夕陽が車の後ろに沈みかけ、 車内では家族が買い物の話をしている。
音楽も流れていましたが、 ほとんど耳に入ってきませんでした。
トンネルに入った瞬間、胸の奥の暗さと景色が重なり、涙が一粒だけこぼれました。
誰にも気づかれないように拭いました。
「終わった」と思った瞬間、心に大きな穴が空いたのです。
第4章 4年間の迷走。静かに削れていったもの
1年間無職を経験した後、やっと再就職できました。
スーツを着て鏡を見たとき、正直に思ったのです。
「これは、自分ではない」と。
体温は38度。 平熱が低い私は、少し体温が上がると、しんどい。
それでも研修には向かわなければならなかった。 自分の輪郭が少しずつ消えていく感覚がありました。
組織の中に入ってすぐ、違和感がありました。
改善できることが目に見えているのに、誰も動かない。 情報があっても伝えない。 面倒なことは人任せにする。
個人事業主だった頃は、問題があれば即決して対処するしかなかった。
でも組織では、今という時間をいかに平和に過ごすか、 それだけが目的になっている人が多い。
外から会社を見ていた頃は分からなかったことが、内側に入って初めて見えてきたのです。
それからの4年間、何をしてもうまくいきませんでした。
能力の問題なのか。 環境なのか。 それとも自分の資質なのか。
答えは出ませんでした。
借金を抱えながら、月の小遣いが3,000円という時期がありました。
それでも、いただけることが、ありがたかった。
給料は銀行振込なので、お金がリアルに見えない。
個人事業主の頃は、支払いのたびに死活問題と向き合っていた。
その危機感が、組織の中では静かに薄れていきました。
派手に崩れるわけではない。
けれど毎日、何かが静かに削れていく。
そんな時間でした。
周囲を見ながら、心のどこかで思っていました。
「経験してきたものが違う」と。
謙虚であろうとしながら、どこかで自分を守っていた。
今思えば、それが見えない壁になっていました。
第5章 現場の気づき。体が先に思い出した
やがて私は、外国人労働者の多い現場に配属されました。
機械音。 油の匂い。 散らばる部品。
決して華やかな場所ではありません。
けれど、その空間に立った瞬間、懐かしさが込み上げました。
頭より先に、体が反応していました。
若い頃、鉄工所で働いていた記憶。 フリーター時代に肩を並べた、日系ブラジル人の仲間たち。 そして今、目の前にいる中国人労働者たちの姿。
過去と現在が、静かに重なりました。
体が覚えていたのです。
その瞬間、4年間分からなかったことが分かりました。
原因は、能力ではなかったのです。
第6章 プライドという色の正体
——プライドでした。
「こうあるべき自分」 「こう見られたい自分」
町工場の社長だったという過去。
その“色”を、私は無意識に、まとい続けていた。
だから目の前の現実に本気で入っていけなかった。
個人事業主として外から見ていた会社員像と、内側から感じた組織の現実は、まったく別物でした。
外から見れば、会社員は守られている存在に映る。 内側に入れば、守られているからこそ危機感を持てなくなる構造が見える。
両方を経験した今だから分かることです。
でも当時の私は、その「両方の視点」を持てていなかった。
経営者だった自分という色だけで、目の前の現実を見ていた。
本や動画でそういう話は見聞きしていた。 知識としては、知っていたはずでした。
でも、体で経験するまでは、本当の意味では分からなかったのだと思います。
気づいたとき、恥でも怒りでもありませんでした。
ただ、「なるほど」と腑に落ちたのです。
第7章 色を捨てた日。無敵に近い感覚
私はその日、肩書きを横に置くことにしました。
一からやり直すと決めたのです。
怖さはありませんでした。
経験値は残る。
ただ、双六で振り出しに戻るだけ。
そう思うと、むしろ、無敵に近い感覚で、分厚い扉の向こうから、光が差し込んでくるようでした。
その後、誰にも見られていない作業を、ただ丁寧に続けました。
評価を気にしなくなったのは、元気が漲っていたからだと思います。
自分の声が出ていた。 体が前を向いていた。
しばらくして、所長に言われました。
「顔色が変わったな」
と。
そのとき初めて、前に進んでいると体で分かりました。
上へ行こうとしていた時は進めなかったのに、下へ降りたとき、道が開けた。
不思議な感覚でした。
第8章 静かな生活。借金と自転車通勤のこと
私は今も、借金を抱えながら生活しています。
手元に残るお金は、決して多くありません。 それでも、そのわずかがあることで、日々は成り立っています。
アップダウンが激しい道のりを、毎朝、片道30分。 今も自転車で通勤しています。
理由はありますが、 それを説明する必要はないと思っています。
私の中では、お金を使うことそのものが贅沢だと、 静かに戒めています。
廃業という形で一度すべてを失った身だからです。
自分の力だけで成り立っていると思っていたものが、そうではなかったと知った。
だから今は、手元にあるものを、自由に使えるとは考えていません。
未来を立て直すために、一時的に預かっているもの。
そう思うようになりました。
焦らず、増やそうとも急がず、ただ丁寧に扱う。
それだけを続けています。
これは節約の話ではありません。 軸の話です。
色を追わなくなったとき、お金との付き合い方も変わりました。
第9章 子罕篇が教えること。足すより、落とす
論語・子罕篇には、孔子はめったに「利」を口にしなかった、という記述があります。
利とは、得とか、見返りとか、そういうものです。
なぜ語らなかったのか。
たぶん、利を追う人間は、利に動かされるからだと思う。 外側の色に引っ張られて、自分の足場を見失う。
子罕篇にはこんな喩えもあります。
山を作るようなものだ、と。
あと一杯で完成というところで止めてしまったら、それは自分が止めたのだ。 逆に、平地から一杯ずつ盛り始めたとしても、続けていけば、それは前に進んでいるのだ——。
やめなければ、積み上がる。 それだけのことです。
でも、積み上げている最中は何も見えない。 だから人は、色の方に目が向いてしまう。
孔子はそれを、何千年も前に見抜いていた。
私が4年かけて体で学んだことを、孔子はもうとっくに知っていた。
それを知ったとき、少し苦笑いしました。
気づきというのは、きっかけに過ぎないとも思っています。
あの現場に立たなければ、私はまだ色をまとったまま、同じ場所で足踏みし続けていたかもしれない。
気づきはどこに転がっているか分からない。 だからこそ、アンテナだけは張り続けることが大切なのだと思います。
肩書きでも、成功でもなく、ただ在り方だけが残っている。
色をまとわない人の姿が、子罕篇には静かに刻まれています。
第10章 色が落ちた後に残るもの
もし今、うまくいかない時間の中にいるなら。
それは、前に進んでいない時間ではないのかもしれません。
余計な色が、静かに落ちている途中なのかもしれません。
色を失うことは、敗北ではありません。
本来の自分に戻る過程です。
何かを足したから強くなるのではない。 余分なものが落ちたとき、本来の自分が現れる。
——色を捨てた後に、残るものこそが、本物だからです。
ご視聴、ありがとうございました。