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【#07】「詰んだ」と思った日から15年。仕事の語源が教えてくれた、再起の地図:述而_仕事と働く

働いても虚しさが残る

仕事生き方

【#07】「詰んだ」と思った日から15年。仕事の語源が教えてくれた、再起の地図:述而_仕事と働く

働けば働くほど、なぜ虚しくなるのか


はじめに 我が人生の「詰」と「罪」

リーマンショックが世界を飲み込んだ2008年、私は独立して起業していた木箱梱包業の会社を廃業しました。

頭に浮かんだ言葉は、たった二文字でした。 「詰」と「罪」。

人生が詰んだ、というのがひとつ。そして、新婚であるのに妻を養えない、それは罪だ、というのがもうひとつ。言葉にすれば簡単ですが、あの瞬間の重さは、今でも体の奥に沈んでいます。

孔子の言葉を集めた論語の中に、「述而」という章があります。「述べて作らず、信じて古きを好む」という書き出しで始まるこの章には、学ぶこと、働くこと、貧しさの中に喜びを見つけること、そして師から学ぶ姿勢について、孔子自身の言葉が並んでいます。

今日は、私自身の仕事の遍歴と、述而の言葉を重ね合わせながら、「働くとはどういうことか」を、一緒に考えていきたいと思います。


第一章 「仕事」と「働く」 語源が暴く違和感の正体

少し立ち止まって、言葉そのものを見つめてみましょう。

「仕事」と「働く」。今では同じように使われていますが、語源をたどると、まったく違う意味が現れてきます。

「仕事」という言葉は、「仕(つかえる)」と「事(こと)」からできています。つまりもともとは、主君や神に「仕えるべき役目」という意味でした。武士が殿様に仕える、神社で神に奉仕する、そういう行為を「仕事」と呼んでいたのです。自分のためではなく、誰かのために果たす役目。それが「仕事」の本来の姿でした。

一方、「働く」はどうか。これには日本語ならではの美しい語源があります。「傍(はた)を楽にする」。つまり、周りの人、家族、仲間、社会を楽にすること。それが「働く」の原義です。

ふたつを並べてみると、見事に一致することがわかります。仕事も、働くも、出発点は「自分のためではない」という思想です。誰かの役に立つこと。誰かを楽にすること。お金のためでも、自己実現のためでも、まずなかった。

ところが現代はどうでしょう。

給料のために働く。会社のために働く。生活のために仕事をする。

気づいたときには、働いているのに誰も楽になっていない、という奇妙な感覚が広がっています。対価と釣り合わない違和感は、私だけが感じているものではないはずです。汗をかいて体を動かして、でも何かが足りない、何かがずれている。その「ずれ」の正体は、もしかするとこの語源の喪失にあるのかもしれません。

私が15年間、運送業を続けながらずっと抱えてきた違和感の根っこも、ここにあったのだと、今はそう思っています。


第二章 技術は尊い、がリターンが小さい現実

述而の冒頭、孔子はこう言っています。

「述べて作らず。信じて古きを好む。」

自分で新しいものをゼロから生み出すのではなく、先人から受け継いだものを誠実に伝えていく。それが自分の仕事だ、と孔子は言いたかったのでしょう。

私が最初に仕事について考え始めたのは、16歳のころです。趣味は波乗り。だから仕事も、なるべく海の近くで、自由に生きていきたいという気持ちが原点にありました。高校を出てから、縁故で家業の鉄工所に丁稚奉公として入りました。

あの場所で気づいたのは、技術のことだけではありませんでした。鉄工所には、高額な機械や工具が並んでいます。それだけの設備投資をして、職人が技を磨いて、それでも手元に残るリターンはあまりにも小さかった。技術職は尊い。それは今も変わらない考えです。でも、尊さとリターンは、必ずしも比例しない。この社会の構造的なアンバランスに、16歳の自分はうっすらと気づいていました。それが、辞める決断につながりました。

将来への不安と、この違和感を抱えたまま、フリーターとしていくつもの現場を渡り歩きました。

そこで、もうひとつの景色と出会いました。現場に足を運ぶたびに目にしたのは、外国人労働者の姿でした。グローバル化が、教科書の言葉ではなく、目の前のリアルとして広がっていた瞬間です。中でも日系ブラジル人たちと自然に仲良くなりました。言葉の壁を越えて一緒に汗をかく中で、世界の広さというものが、皮膚感覚として入ってきました。国が違えば、働くことへの考え方も、お金への向き合い方も、人生の優先順位も違う。その経験が、自分の世界観を大きく広げてくれました。

この原体験は今も続いています。現在、中国人やロシア人の友人たちと親しくさせてもらっているのも、あのフリーター時代に芽生えた「国境を越えてヒトと繋がる」という感覚が根にあるからだと思っています。働くことを通じて世界が広がる。その豊かさは、給料明細には載りません。

22歳のとき、ふとしたきっかけで輸出用の木箱梱包業という仕事に出会いました。先輩職人の手元を見て、手を動かして覚えていく。工場の床に積み上がった木材の匂い、のこぎりの音、釘を打つリズム。鉄工所で感じた投資とリターンへの問いが、ここでまた静かに燃え始めました。誰かに教わりながら、自分の体に刻み込んでいくという意味では、あの日々こそ「述べて作らず」の実践だったかもしれません。


第三章 衰退産業からの這い上がり

26歳で独立しました。

正直に言います。あのとき、私は「独立開業」という言葉の響きに酔っていました。業界を調べることもせず、市場の行方を確かめることもせず、ただ「自分でやってみたい」という気持ちだけで飛び込んだのです。

そして後になってわかりました。木箱梱包業は、すでに衰退産業でした。輸出の形が変わり、梱包の需要は縮小の一途をたどっていた。華やかな言葉の裏に、そんな現実が隠れていたのです。

でも、あの時間は、私の人生で一番苦しく、そして一番楽しい時間でもありました。

衰退産業だとわかってからが、本当の勝負でした。そのままでは飲み込まれるだけです。だから、業界の常識を疑い、自分にしかできない色を探し始めました。少しずつ差別化を図り、顧客との関係を積み上げ、縮んでいく市場の中で自分の陣地を広げていく。事業が拡大するにつれ、あの16歳の鉄工所で学んだ投資とリターンの感覚が、ここでようやく花開いた気がしました。かけた知恵と時間が、確かな形で返ってくる。あの手応えは、今も体の奥に残っています。

語源の言葉で言えば、あの日々こそ「仕える役目」を自分色に塗り替えていく時間でした。誰かに命じられた役目ではなく、自分が選び、自分で設計した役目として仕事を引き受けた、唯一の時間だったかもしれません。

それがリーマンショックで、一瞬で終わりました。


第四章 動くほどドツボにハマった時に学んだ静止の力

述而の中に、こんな言葉があります。

「粗末な食事をし、水を飲み、腕を曲げて枕にする。その中にも楽しみはある。道に外れた行いで手に入れた富や地位などは、私には浮き雲のようなものだ。」

廃業したあと、私は約1年半、ニートとして過ごしました。

新婚でした。妻がいました。それでも動けなかった。いや、正確には、動けば動くほどドツボにはまっていったのです。一発逆転を狙おうとすれば、裏目に出る。何かをしようとすれば、さらに追い詰められる。焦れば焦るほど、判断が狂っていく。精神的にも、相当参っていました。

そのとき、身をもって学んだのは、「動かないことが正解な時間がある」ということです。嵐の中で無理に船を出せば沈む。嵐が過ぎるのをじっと待つ。それも、ひとつの勇気だと、今ならわかります。

孔子の言う「浮き雲」という言葉が、じわじわと意味を持つようになったのも、あのころです。かつて自分が積み上げてきたもの、社長という肩書き、事業、収入、社会的な立場。それらが一瞬で消えた。でも、それは「浮き雲」だったのかもしれない。消えるべくして消えた、道に合っていないものだったのかもしれない、と。

そして今思うのは、廃業で失ったのは「給料のために働く自分」であって、「誰かを楽にする力」ではなかったということです。語源に立ち返れば、働く能力は、会社が潰れても、肩書きが消えても、なくなりません。「はたを楽にする」力は、人間そのものに宿っているからです。


第五章 小さくコツコツ、それだけが再起への唯一の道だった

静寂の中でやっと出した結論は、シンプルなものでした。

「とにかく、少額でも良いから働いて稼ぐことを目標にしよう。」

それだけです。一発逆転でも、起業の夢でも、社長復帰でもない。まず、誰かのために働いて、対価をいただく。その感覚を取り戻すこと。

そうして運送業という仕事に就きました。

正直なところ、最初は違和感がありました。自分が汗をかいて体を動かしても、対価はかつてとは全然釣り合わない。でも今はわかります。その違和感の正体は、「はたを楽にしているのに、それが正当に評価されていない」という感覚だったのではないかと。語源通りに働いているのに、現代の仕組みがそれに応えていない。その構造的なズレが、違和感の根っこにあったのです。

述而にはこうあります。「学ぶことに発奮すれば食事を忘れ、喜びによって憂いを忘れ、老いが迫るのも知らない。」

夢中になれるものがあれば、年齢も境遇も関係なくなる。その逆もしかりで、夢中になれないから、時間だけが重くのしかかる。運送業の15年は、あの違和感を抱えたまま、でも誠実に積み上げてきた時間です。そしてその違和感こそが、今の自分を動かす燃料になっています。


第六章 飛び込んだ先に、いつも新しい景色があった

述而の中で、最もよく知られた言葉のひとつに、こんな一節があります。

「三人が道を行けば、そこには必ず自分の師となる人がいる。良いところは見習い、悪いところは自分への戒めとする。」

振り返ると、仕事の節々に、師となる人がいました。

丁稚奉公で鉄工所に入ったとき、職人の親方から、投資とリターンという仕事の原理を教わりました。フリーター時代のさまざまな現場で、生活の知恵と世の中の仕組みを学びました。22歳で出会った木箱梱包業の先輩からは、手に職を持つことの誇りと独立する勇気をもらいました。廃業後のニート期間でさえ、同じように苦境に立たされながらも前を向いていた人たちの姿が、いつか自分の背中を押してくれました。

そして、37歳のときに迎えた会社勤めの経験があります。

これは、それまでの自分にはなかった学びでした。個人や職人の世界で生きてきた私が、組織の中に入って最初に感じたのは、「ヒトとはこれほど複雑なものか」という驚きでした。組織には構造があります。縦の指揮系統、横のコミュニケーション、見えない力学、暗黙のルール。そのどれもが、個人で仕事をしていた時代には見えていなかった景色です。

「三人行けば必ず師あり」という言葉通り、組織の中にいる人たちが、それぞれに師でした。うまくいっている人からは進め方を学び、うまくいっていない人からは反面として戒めを受け取る。自分がかつて独立して雇う側だったとき、こういう目線で社員を見ていただろうか、と自問することも多かった。あの37歳の経験がなければ、今の自分の仕事観はもっと平板なものになっていたと思います。

そして今、孔子という2500年前の「師」と出会っています。

論語を読み始めたのは、自分を見つめ直したかったからです。もう一度、独立して自分の力で稼ぎたいというリベンジ起業の野望はある。でも、そのためには、まず自分が何者で、何を大切にしているかを整理しなければならない。そのフレームワークとして、孔子の言葉が驚くほど今の自分にフィットしているのです。


第七章 会社がなくなっても、働く力は消えない

述而の中に、四つの言葉が並んでいます。

「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。」

これを、「仕事」と「働く」の語源と重ね合わせると、驚くほど鮮やかに未来が見えてきます。

「道に志す」。仕事の語源は「仕える役目」でした。つまり、向かうべき道とは、誰かの役に立つという役目そのものです。リベンジ起業の野望は、単なる意地ではなく、もう一度その役目を自分の意志で引き受けたいという志のはずです。

「徳に拠る」。廃業の反省として、規模を追うのではなく、誠実さで信頼を積み上げることを根拠にしたい。給料のために働くのではなく、誰かを楽にするために動く。その行動の根拠を、自分の誠実さに置くこと。

「仁に依る」。「はたを楽にする」という働くの語源は、そのまま仁の定義です。誰かの役に立つこと、その対価として報酬をいただくこと。それが仕事の本質だと、運送業の15年が教えてくれました。

「芸に游ぶ」。波乗りを中心に仕事を考えていた16歳の自分が、実は一番正直だったかもしれない。好きなことに技術と知恵を乗せて、それを誰かに届けること。そのコンテンツ発信が、今の「游」です。

ここに、明るい未来の設計図があります。

会社を辞めても、役職を失っても、「はたを楽にする力」は消えない。肩書きが変わっても、語源の意味での「働く」は終わらない。むしろ、会社という枠が外れたとき、人は初めて純粋な意味で「誰かのために働く」ことができるのかもしれません。

現代の仕組みに感じていた違和感の正体がわかれば、その違和感は羅針盤になります。「釣り合わない」と感じるのは、語源通りに働こうとしているからです。その感覚は、正しい。だからこそ、その感覚を信じて、新しい形で独立する道を探す価値があります。


おわりに 経験を語ることが、次の誰かの地図になる

述而の「述べて作らず」という言葉に戻ります。

廃業という挫折も、1年半の静寂も、違和感を抱えながら続けてきた運送業の日々も、すべては「述べる」ための素材です。ゼロから何かを作り出すより、自分が歩んできた道を誠実に語ることの方が、誰かの心に届くかもしれない。

16歳で投資とリターンを学び、26歳で衰退産業に飛び込んで自分色に染め上げ、37歳で組織とヒトの構造を目の当たりにした。それぞれの時代に、学ぶべきことがありました。では、次に学ぶべきことは何か。

それは、「どのように後世に伝えるか」ではないだろうか、と最近よく考えます。

ただ、その答えは、まだ出ていません。

どんな形で伝えるのが正しいのか。音声なのか、文章なのか、それとも誰かと直接話すことなのか。体裁だけの問題ではなく、「何を伝えるか」と「誰に届けたいのか」が先に整理されなければ、形だけ整えても空洞になってしまう。孔子も述而の中でこう言っています。「私は生まれながらに知っていたわけではない。古きを好み、力強く求めてきた者だ」と。

知識も、伝え方も、生まれつき備わっているものではない。探し、問い続けることの中に、少しずつ答えの輪郭が見えてくる。

「仕事」と「働く」の語源が教えてくれるのは、誰かの役にとうとする気持ちは、時代が変わっても、会社がなくなっても、消えないということです。それは2500年前の孔子も、言葉の成り立ちの中に刻んだ人たちも、同じように感じていたことのはずです。

私がコンテンツ発信を始めようとしているのは、完成した答えを持っているからではありません。途上でいるから、途上の言葉を届けたい。リベンジ起業という野望に向かって、自分を整理しながら歩いていく過程を、誰かと共有したい。そして、「どう伝えるか」という問いに、この発信を続ける中で自分なりの答えを見つけていきたい。

語源の意味で「仕える役目」を、語源の意味で「はたを楽にする」仕事を、もう一度、自分の手で取り戻す。その旅は、まだ始まったばかりです。

また次回も、述而の言葉を手がかりに、仕事と生き方について話していきます。

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