【#03】 頑張っても報われない理由|老子第3章
今日の違和感
頑張れば、報われる。
そう思っていた時期が、誰にでもある。
でも、ある瞬間に気づく。
頑張っても、 評価する人が変われば、 結果も変わる。
頑張っても、 会社の都合が変われば、 報酬も変わる。
頑張っても、 頑張らなくても、 同じ評価になることがある。
そのとき、 小さな違和感が生まれる。
「これ、終わりがないな」
そして、 もうひとつの違和感が、 少し遅れてやってくる。
「そもそも、 私は何のために 頑張っていたのだろう」
朝4時に起きて、 まだ暗い部屋で、 ひとり机に向かう。
そんな生活を、 もう15年以上、 続けている。
誰かに頼まれたわけではない。
それでも、 体は自然と動く。
不思議なのは、 会社のための頑張りは あれほど苦しいのに、 この時間だけは、 苦しくない、 ということだった。
同じ「頑張る」でも、 なぜこんなに 感触が違うのだろう。
その違いの正体を、 ずっと探していた。
老子はこう言う
老子第三章に、 こうある。
不尚賢(ふしょうけん)、使民不爭(しみんふそう)。 不貴難得之貨(ふきなんとくのか)、使民不爲盜(しみんふいとう)。 不見可欲(ふけんかよく)、使民心不亂(しみんしんふらん)。
賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、 民(たみ)をして爭(あらそ)わざらしむ。
得難(えがた)きの貨(たから)を貴(たっと)ばざれば、 民(たみ)をして盜(ぬすみ)を爲(な)さざらしむ。
欲(ほっ)すべきを見(み)せざれば、 民(たみ)の心(こころ)をして亂(みだ)れざらしむ。
現代語にするなら、 こうなる。
優れている、と 誰かを持ち上げるから、 人は争いだす。
手に入りにくいもの、と 価値をつけるから、 人は奪い合いだす。
欲しがるべきもの、を 見せつけるから、 人の心は乱れだす。
これは、 競争するな、 という話ではない。
競争は、 最初からそこにあるものではなく、 誰かが 「これが優れている」 と決めた瞬間に、 生まれる。
評価軸を作る人間が、 争いを作っている。
老子は、 そう言っている。
ここで、 ひとつ立ち止まりたい。
老子は、 「評価される側」を 責めているのではない。
「評価する仕組み」を 作った側にこそ、 目を向けよ、 と言っている。
頑張れない自分が 悪いのではない。
頑張りを 測る物差しそのものが、 誰かの都合で 作られている。
その事実に、 まず気づくこと。
それが、 この章の入口になる。
私の体験
物流の現場に、 20年以上いる。
2020年、 コロナでこの業界は かつてないほど忙しくなった。
荷物が溢れ、 売上が伸び、 利益が出た。
頑張った分だけ、 数字に出た。
そう思っていた。
ところが、 それを見た上司は、 こう言った。
「儲かりすぎたから、 値下げする」
頑張った結果、 自分の成績は落ち、 収入は減った。
頑張りが、 頑張った本人に 返ってこない瞬間だった。
時は流れて、 2024年の年末。
営業所の成績が良ければ、 ボーナスが期待できる。
そう上司に言われ、 従業員全員が、 歯を食いしばって働いた。
結果は出した。
ところが、 ボーナスは 据え置きだった。
理由を聞くと、 グループ企業だから、 一つの営業所だけ 成績が良くても、 他に合わせる、 とのことだった。
その場にいた全員が、 言葉を失った。
頑張っても、 意味がない。
そう確信した瞬間だった。
数字を追えば追うほど、 時間がなくなった。
時間がなくなれば、 余裕がなくなった。
余裕がなくなれば、 些細なことで、 現場の空気が ギクシャクし始めた。
本来なら、 助け合うはずの同僚が、 気づけば、 お互いの成績を 横目で見るようになっていた。
誰も、 それを口にはしない。
でも、 全員が、 心のどこかで 気づいていたと思う。
これは、 協力する仕組みではなく、 比べさせる仕組みだ、 と。
私の体は、 すでに限界のサインを 出していた。
ぎっくり腰。
過労。
そして2024年の春、 坐骨神経痛で ドクターストップがかかり、 1ヶ月、 働けなくなった。
それでも、 給料が上がるなら、 我慢もできた。
働き方改革で残業に制限がかかり、 手取りは減る。
物価だけが、 上がり続ける。
給料は上がらないのに、 生活は じわじわと 苦しくなっている。
なぜ、 こんなに 頑張っているのだろう。
体に鞭を打ちながら、 何度も 自分に問いかけた。
実は、 似たような問いを、 もっと若い頃にも 抱いたことがある。
会社に入ったばかりの頃、 失敗が続き、 「要注意人物」として 扱われた時期があった。
原因は、 自分が営んでいた 木箱梱包業を 廃業したことの、 精神的な後遺症だった。
配属されたのは、 くしくも、 二度と戻らないと誓った、 鉄工所の匂いがする 自動車部品の 整備工場だった。
そこで、 自分を見つめ直し、 一気に 挽回した。
生き生きと働く姿を見て、 自分を追い出した主任が、 それを 悔しがっていた。
そのとき、 確かに 「勝った」 と思った。
あの頃は、 評価を勝ち取ることに、 意味があった。
頑張れば、 誰かを見返せた。
頑張れば、 景色が変わった。
でも今、 同じように頑張っても、 何も変わらない。
何が、 違うのだろう。
見落としていたもの
ここに、 ひとつの矛盾がある。
何のために 頑張っていたのか、 と振り返ったとき、 出てきた答えは、
「自由」
だった。
自由になりたくて、 頑張っていた。
なのに、 その頑張りを 評価するのは、 いつも他人だった。
上司であり、 会社であり、 グループ全体の都合だった。
自由を求めながら、 評価される基準は、 自分の外に 置いたままだった。
これは、 個人事業をしていた頃と、 比べるとよくわかる。
事業をしていたとき、 忙しければ、 友人たちが 手伝いに駆けつけてくれた。
頑張れば、 目の前の景色が変わった。
評価軸は、 自分の中にあった。
だが、 会社員になってからは、 違った。
評価軸は、 他人の中にある。
それは、 自分では コントロールできないものだった。
仕事ができない人より、 その人をカバーしていた自分の方が、 評価が低かったことすらある。
そのとき、 はっきりとわかった。
頑張っても、 意味がないのではなかった。
頑張りの意味を決める人が、 自分ではなかった。
もっと言えば。
私は自由になりたかったのに、
自由になるための条件を、 他人に決めてもらおうとしていた。
それでは、 いつまで経っても 自由にはなれない。
それが、 見落としていたものだった。
自由を求めて、 自由を手放していた。
不思議なことに、 頑張ることから、 少し力を抜いてみると、 それまで見えなかったものが、 見えてきた。
周りの人間の、 言動。
誰が、 本当に現場を見ているのか。
誰が、 数字しか見ていないのか。
それは、 全力で走っているときには、 絶対に見えない景色だった。
そして、 今の自分が 向かっている場所は、 かつてのような 「評価されること」ではない。
「結果を出すこと」でもない。
ただ、 痕跡を残すこと。
誰かと競うのではなく、 自分が確かに ここにいた、 という跡を、 コンテンツという形で 残していくこと。
それは、 他人が採点する 評価軸の外側にある、 もうひとつの生き方を 見つけたのだ。
今の私たちなら
これは、 物流の話だけではない。
宅配業界では、 安くする会社が、 評価される。
その裏で、 現場は疲弊する。
数字だけが 独り歩きし、 誰も幸せにならない。
それでも、 みんな 頑張り続ける。
ドライバーは、 集配件数を 競わされる。
営業所は、 他の営業所と 数字を 比べられる。
会社全体は、 グループの都合に 合わせさせられる。
誰も、 本当の意味で 自由ではない。
それでも、 この構造に 慣れすぎて、 誰もそれを おかしいとは 言わなくなる。
会社員なら、 評価制度。
副業をすれば、 収益という数字。
発信活動をすれば、 フォロワーという数字。
定年が近づいても、 「まだ働け」 「まだ稼げ」 「まだ成長しろ」 という空気は、 消えない。
評価する仕組みは、 姿を変えながら、 ずっとそこにある。
老子が言ったのは、 競争をやめろ、 ということではない。
その競争のルールを、 誰が作ったのか、 を見よ、 ということだ。
評価軸を、 会社に預けたままなら、 何歳になっても、 この仕組みから 降りられない。
頑張ること自体は、 悪くない。
問題は、 その頑張りの「意味」を、 誰が決めているか、 だ。
今日の問い
もし今。
あなたが自由になりたいと 願っているなら。
その自由を許可する人は、 誰でしょうか。
会社でしょうか。
上司でしょうか。
世間でしょうか。
それとも。
最初から、 あなた自身だったのでしょうか。
今日は、 その問いだけを 残します。
最後に
最後までお聴きいただき、ありがとうございました。 この番組では、古典を手がかりに、現代をどう生きるかを一緒に考えています。 また次回、お会いしましょう。
